表現欲

ちゃんとブログ運営?したいな?運営というか統一感のある日記的なものにしたいな?また投稿全削除かな?

 

人に会えない、辛いことが多い、抱え込みがちな性格が故気持ちを発散する場がない、もろもろ重なると表現欲が出てくる

 

表現欲は、普段から自分のことをはっきりくっきり表現できる人にはあまりないのかなと思ったりする

 

圧倒的に、表現が下手な私にとって、

 

音楽は

文字は

絵は

私を表すツールであったのだと

離れて見ると気付く

 

いつ何がどう終わったら、"落ち着いた"と言えるかは分からないけど

 

落ち着いたら、ちゃんとブログやりたいな

 

 

表現欲は、散漫であってはいけない

 

統制されて初めてしっかりしたものだと言えるのだろうな

 

とりあえず、勉強ちゃんとしよ😭

気持ちのしんどい日曜日

 

ご飯を食べても回復しない心

 

やまない雨はない

 

明けない夜はない

 

そう信じる人にとっての希望は、その言葉だけでいいのか?

 

誰だって、雨が止むことも夜が明けることも知っている

 

知っているのに、絶望して、悲しくなって

 

空が晴れる前に自分を永遠の闇に葬ってしまう

 

励まし方って難しいよね

 

頑張って、が、人を苦しめることもあるというのがだんだん世の中の通説になってきて

 

頑張れも、くじけるなも言えなくなっているような気がする

 

代わりに、逃げてもいいよ、辞めてもいいよということが正しいといわれることが増えている気がする

 

逃げる、辞めるという選択肢が、選ばれたそのさきに希望があるかもわからないのに

 

逃げろというのですか

 

逃げたらもっと悲惨な運命が待っているかもしれないのに

 

怖くてつらくて逃げだしたいっていう人の多くは、

 

本当は逃げたくない、負けたくない、今の状況を何とかしたい

 

そういう感情を持っていると思う

 

だからこそ、ここで逃げていいよなんて簡単に言わないことも

 

選択肢の一つとしてあってほしいと思う

 

 

 

 

私は今どんな言葉をかけてほしい?

 

かけてほしくてかけられた言葉にどれほどの意味がある?

 

思いがけないからこそ、励まされるもの

 

今夜の夢は何を見ようかなんて考えもしないけど、

 

それがうれしいものだったり、幸運を暗示するものだったらうれしいよね

 

そういうもの

 

励ましの言葉というのは

 

決断は、こころの持ちようは

 

結局自分で決めなければならない

 

結局どんなにかける言葉が変わったとしても、決められるのは自分だけ

 

信じられるのは、自分だけ

 

自分も信じられなくなってしまったら

 

他の人を頼るしかない

 

頼ったとき、見えてきた道をなんの疑いもなく歩くこともある

 

それはきっと頼るとは言わない

 

人は、人にたよられたい

 

頼られることが存在意義だから

 

でも、まるっきり他人を頼れないことと同じように

 

すべてを自分に預けてくれる人もいなくなる

 

そういうもの

 

で、

いったい、何が言いたいのでしょうか…

 

まあしんどいことが多くて

先の見通しも立たないような世界では

不安しかなくて立ち止まってしまうことも多いけれど

少しだけでも歩みを止めちゃいけない

一歩でも進めたらそれでいいと

思えることが大切になってくるねという

そういう話がしたかったのかもしれない

やまない雨を眺めながら。

 

 

 

解放、されない

キツかった正直。

精神も身体もズッタズタのボロボロ。

気を取り直して、8/9まで気を抜かず勉強します。

神様は私に早く勉強終えたいなんてやましい心を持つなと言いたいんだねそうだよね。うん

 

ポエマー

眠れないのでスマホでブログを書いています。

 

自分が如何程につまらない人間かを、自覚する日々に嫌気がさしました。

友達も少なくて

連絡を取ろうとする気概もなく

つまらないラインを送ったことを後悔し続ける日々

自分に自信なんて持てず

自信を持つための勉強も集中できず

頭のなかがノイズでいっぱいで

そのノイズを消すために

ずーっとスマホをいじっているね

でもノイズを消すその行為が逆にノイズを増幅させている

負のスパイラル

どうしたら抜け出せるか考えても答えは出てこないので考えることを諦めた

空っぽになりたい

いや、そもそもわたしは空っぽな人間だが、、、

空っぽだからノイズが大きく響く

大きく響くノイズに過剰に反応する

心と身体が一致しないのを感じる

 

一致しないのは心と身体の関係だけではない

人の意見なんか気にせず自分なりに頑張ろうと思う度

人はどうしているのかきになって、結局自己肯定感を下げるし

わたしはここにいていい人間じゃない

もっともっともっと下等な生物だ

下を見ていないと生きていけない愚かな下等生物

 

この大学に来てたくさん面白い人に会ってすごく充実した日々だった

その日々が終わってしまえば、結局といっては失礼だが

その面白い人たちのいない環境で生きていかなければならない

出会いは別れた表裏一体

人生の先にはもっともっとわたしの人生をもりあげてくれるひとがいる

きっと

そう信じてやるしかないよね

信じられるのは自分と

自分の未来だけ

自分の未来なんかまだまだわからないから

とりあえずその場しのぎでもいいから

未来へのチケットを手に入れよう

考えるのはそれからだ。

未来に対して暗いイメージしか持てなかったけど

信じよう

明るい未来を

絶望の淵から這い上がれ私

私は私でしかないのだよ

覚悟をもって

その上で少しの自信を持って

上を目指そう。

 

 

 

 

 

 

 

誰よりも高く跳べ!

 

9

 

強風の街

今日は暑かった。

暑い。

まだ6月始まったばっかりなのに本気出しすぎです。

天気もね、外出自粛が緩和されてうれしいのかもしれませんが、そういう浮ついた天気は不謹慎なので自粛してほしいです。

なんてことはさておき、本当に暑い一日でした。

風もあまり吹かず、ただただ蒸し暑い。

仙台、こういう時こそいつもの強風をふかすべき。

 

謎理論すぎますね。

でも、普段の仙台って、風強すぎませんか。

毎日のように自転車に乗っていた身からすると、結構仙台の強風はきついものがありました。

全然進まない自転車、押して歩けばそれはそれで自転車が思いので風にあおられやすくなってどっちにしても意味なし、、

 

とか言っていたら雨が降ってきましたね、、、

夏は太陽さんさんで気持ちいいけど、天気が気まぐれなのが難点です。

突発的な豪雨とか。

夏生まれですが、夏より冬のほうがすきだったりします。

北国生まれ北国育ちだからですかね。

日が長くなるのはうれしいですが、早く過ごしやすい季節にならないかなとおもってしまいます。ないものねだり。

 

・・・・・・・・・・・・・

ここ数日、自分の今後のライフプランについてよく考えます

そして、就職結局どこでしたいのか自分でもわからなくなってきました。

地元に戻るのが無難な選択肢だとは思うけど、

今の仙台での生活の充実感を考えると、娯楽の少ない田舎で生きていけるか、生きていて満足なのか分かりません

地元の就職を渋る理由は、ほかにもあるけど

職場を直接見たことがないのが気がかり

仕事ってそんなことでは決まらないし、部署によってだいぶ雰囲気とか違ってくるんだろうなと思うと、見学したところで、、、と思うけどね

でも、雰囲気を知っているだけでずいぶんとまたいろいろ変わってくるんじゃないかなって思います。知らんけど。

 

あと毎日思考の片隅にあるのが、結局受ける試験種が決めきれない、ということ。

どうせ二次試験かぶってくるって思うと、そのとき悩むものが今に降りかかっているのだから一緒だとは思う、思うけど!

一次受かる保証なんてあるわけないのに!

受験機会を減らさないで!!!

というのが正直なところ

この大学に入っているのに公務員試験の一次で落ちるとかダサくて涙出る、けど可能性としてなくはないし、教養試験の苦手な部分が配転高かったりしてもう最悪としか思えません。最近本当に病んでいる

あと一か月、試験によっては二か月あるからそこで何とか詰めるしかない。

やるしかないのは分かっているけど、しんどいのはしんどい、、、

コロナちゃんのせいで、会場で受けられた模試は一つしかないし、その時は勉強が普通に足りてなくて成績はゴミだし、今の自分の実力がどこにあるのか正直全然わからない

これも試験が不安な原因の一つかな

ライフプラン云々の前に、普通に試験自体に受かるかどうかが心配でもうそれはそれは夜もおちおち寝ていられません、、というわけにもいかず。毎日ちゃんと6時間は寝てます。生活リズムも毎日ほぼ一緒。健康的。これだけでも報われないかな、、と思ってしまいます。

もう何からどうしたらいいかわからないので

とりあえず勉強の手を緩めないこと

これだけで今は気持ちを保っています。

言うても全国の公務員試験受験生はこのような思いを抱えているのだから、自分だけが圧倒的に不利ということはないだろうし、がんばりたい、、、

結局こういう思考に落ち着きがち。

 

明日も勉強頑張ろう

 

 

 

毎日がbrand new days

 

8