愚痴と不満と後悔と 気持ちの備忘録

暇だ

暇になるといろいろと考えてしまう。

私の悪いところ それを分かっていたので、暇になりそうだった春休みに馬鹿みたいにバイトをぶち込んだんだった。

 

最近、インスタでエッセイ漫画を読むのが楽しい。

インスタのエッセイ漫画のいいところは、やっぱりタダであること!

書いている人には大変に申し訳ないとは思うが、やはりタダであればどんなに先読みブログの広告がうざくても、投稿がえげつないほどに分割されていても許せる。 思えば、大学に入る前は商業漫画めっちゃ読んでたね私。

 

そういう下地もあって、今まで細々読んでたエッセイを見返したり、新しいのをガッと一気読みしたり… 暇の権化はある意味で忙しいということに気づいた。

 

そこまでインスタに精通しているわけではないが、インスタにあるエッセイ漫画の傾向くらいは分かる。

圧倒的に、男女間にフォーカスしたものが多い。というか殆どそれしかない印象。

ま、インスタのユーザーもおそらく女性が多いんだろうし、エッセイ漫画を書いている男性をあまり見たことがない。 Twitter上にはエッセイ的に日常のことを描く男性もちらほらいる印象だけど、それは日常の切り抜きに留まっている印象で、 インスタの漫画はそういう日常の切り抜きもあるけど、よく読まれているものは連続的な日常が書かれていることが多い。

それだけ、男女間に関する話題はストーリーになりやすいし、ちょっとした事件も大きな塊となってエピソード化しやすいということなのかもしれない。

 

で、今回のブログのタイトルが愚痴、不満、後悔となんだか不穏なワードで溢れているわけだが、 これはなぜがという話。 いくつか要因があると思うのでこれを書きながら整理していきたい。

 

エッセイ漫画は、多種多様である。しかし、ユーザーの見ている投稿の傾向を呼んでか、同じような特徴を持つ投稿がおすすめに表示されやすい。 フォローしているインスタグラマーのフォローしている人などをちょっと覗いても、 まあ当たり前だけど同じような境遇の人が多いこと、、、。

私が見ている投稿は

育児(初期から少したって余裕が出てきたので、産前産後辺りのことを書く)

大学生(なぜか2,3こ違いや社会人と学生のカップルの話が多い印象)

姑の愚痴

 

こんな感じのが多い。私は全く育児にはかぶっていないが、大学生のユーザーの投稿が出てくるというのはまあそうだよね、わかってんなってなる。

大学生活における男女間エピソードはエッセイ化しやすいのかもしれない。

そんでもって、だいたいこういうのは幸せなのである。悲しいことに。

おい、人に幸せにケチつけんのか?と書いていながら自分に問いたいが、これがエッセイ漫画の良いところであり、悪いところでもあると思う。

幸せなことを文字に起こして絵に起こして、そして多くの人に見てもらうこと。 それは承認欲求が満たされるし、不幸自慢をするより幸せなことをシェアしたほうが読む側にとっても負担にならないし。

でも、その投稿が読者(仮)にとっていろいろと考えさせられる者となる状況が発生することは間違いないと思う。

 

商業漫画や、ドラマや映画の中の話は大抵がフィクションである。 それを見て、幸せを分けてもらうこともできるが、やはり心のどこかでこれは現実にはおこっていないことである、というのが精神的に深入りさせず人生を考えるきっかけと作用することがあるんだと思う。

得に少女漫画はそうで、理想のシチュエーションとかをフィクションの世界で昇華することで、あり得ないけど抱いてしまう幻想に対して無駄に時間を割かなくて良くなる、ということは十分あり得る。し、変な妄想に取りつかれなくて住むという点では少女漫画は有名どころでいいので、一読しておいて損はないと考える。

でも、エッセイは違う。

多少の誇張やフィクションが含まれているとはいえ、8割方が実際にあった出来事なのだ。 もしかしたら、この考えはエッセイに対して幻想を抱きすぎでは?と書きながら考えた。

しかし、これで実はインスタエッセイ漫画の殆どは商業漫画と一緒でフィクションでした~wwwwwじゃ、さすがにサイコパスがすぎるだろ。 というわけで、私はインスタに転がる身の上話を友達の話を盗み聞きする感じで見聞きしている。

そうするとどうしても、どうしても、自分と重ねてしまうわけ!!境遇が近いほど。

 

これはまた項を改め書こうと思うが、やっぱりね、自分にはもっと幸せな人生を歩む権利があるのではないかと考えてしまう。 そしてそれは環境の違いを是正することではなく、今の状況に何かしらの奇跡が起きてある日何も失わず実現されてしまうことがあるのではないかということ。

私だけかもしれないけど、そう考えてしまうのに無理はないと思う。

今仲のいい人とはずっと付き合っていくと思っているけど、これから人生どういう状況になるかも分からないし、むしろこれから離れ離れになる人に対してその幻想を抱いている節があるので、ほんとうに私ってダメだなぁと思ってしまう。(笑)

住む場所や身分が変われば関わる人や他人との関係性は大きく変わること。 そんなものは今までの短い人生の中でも経験してきたことなのに、 やっぱり人間関係に対して幻想を抱いてしまうのは本当にどうしようもない。

いろんな場面で、「もしも」は考えても仕方のないこと、もう一度その頃に戻れるとしても同じ選択をするに違いないとかいうこと。散々聞いてきたし、自分はifに対する執着がすごいので心に意図的に留めるようにしている。

 

あー、でも半年前の私、1年前の私はもう少しいろいろ考える余地があったんじゃないかなー、と思わずにはいられない。

きっとどの選択肢を選んでも不安になるし後悔するし、で、もうどうしようもないのだけど。

ああ、人生は難しい…

 

でも、一言相談してくれてもよかったよね。一言こういう風に決まったんだよ、って言ってくれてもいいよね。うん。 私の進路は大体分かっていたはずなのに、それに対して気まずかったのか何なのか知らんけど、あ、あなたはそこまで考えてないんだ、って思っちゃったよね。 うん。

ちょっとっていうかかなり悲しかった。

 

最近は女性もキャリアを追求しつつプライベートを充実させてることが(形式的には)叶ってきた時代。

でも、女性がある男性と生涯を共にしたいとなったときに男性が女性についていくというのは基本的に聞いたことがない。 そうしたら、世間体が、とか、心のどこかでやっぱり男性につけるのが女性、みたいな気持ちがあるのだと思う。

 

正直、今の段階でキャリアに対して夢や希望や憧れがあるわけではない。 でも今の職業に就くからには、辞めずに続けることが美徳であることに間違いはない。

自分で自分の人生を切り開けるようになった時代においては、 自分で稼げないことは大きなハンデになる。 そのことをもっと自覚していたら。もっと早くに気づいていたら。 働くことにそこまで固執していないのに、働くことと人生設計をあまりにも乖離させて考えていた半年前、いや1年前の私はあほだった。

 

 

 

要するに、就活全部やり直したい。 けど、もう今更やり直すのも疲れるし、この1年(以上)に渡る不安と苦労は今の職場にする要因にもなっているから難しい。 めんどくさいな、自分。 分かってるけど、本当にめんどくさい。

 

人生設計は大事。

例えそれが達成されないものであったとしても、考えることが大切。

そう気づいた22の冬。